いじめ【2012.7.17 中川翔子 オフィシャルブログ】

引用元:いじめ|中川翔子 オフィシャルブログ Powered by Ameba

加害児童たちの、遊びのつもりだった、そんなことがまかりとおるなら暴行恐喝など世の中の犯罪も遊びですまされることになる、
命を追い詰めた、失ったこと、一生背負っても足りない。
遊びだったというなら同じ目にあってみろと言いたい
世論が騒がなかったら闇に葬られていた事件だったかもしれないし、まだまだ氷山の一角で、隠蔽されていたいじめ事件によって失われた命がたくさんある。

遅すぎる、すべてにおいて。命が失われてからじゃ遅すぎる。

教師が、学校が、
まともな対処をしないと生徒にとっては学校が世界のすべてになってしまうのだから。
学校が世界のすべてではないのに。

上記の記事が発表されてから5年経過しても、学校からいじめがなくなる様子はないのが悲しい。

こちらは、同じ生徒からの暴行や恐喝がきっかけで命を絶ってしまったときのものでした。この時は加害者は「生徒」でした。

2017年10月、今度は教師から生徒への暴行や恫喝の繰り返しがきっかけで、生徒が命を絶ってしまう事件が発生したことがニュースで判明。生徒からのいじめに次いで、教師からのいじめ。今、学校に救いはないのでしょうか・・・。

人を傷つけた生徒は「遊びのつもりだった」と言うなら、教師は「教育のつもりだった」とでも主張するのでしょうか。中には体罰をすることが信念と開き直る教師もいるようですが、そんな信念に命を奪われては堪ったものではありません。

「体罰はだめ」なのに… なぜ、容認する人がいるのか – Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/feature/778

「遊びのつもりだった」や「教育のつもりだった」は、人の死の前では、罪の軽減の材料にすらならない。すべての社会がそうあってほしい。

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